日曜朝に心豊かなひとときを!
今回は柿本人麻呂の代表作「石見相聞歌」を取り上げます。相聞歌(そうもんか)とは恋に関わる歌で、別れの歌でもあります。柿本人麻呂にとっては絶唱とも交響楽ともいわれている長歌です。生きていくということは、たくさんの好きな人、事、物に出会うことです。國學院大學文学部教授(特別専任)上野誠さんは、恋とは「いのち」そのものだと語ります。人の出会いや別れに思いを馳せて、相手を愛おしく思う心について考えます。
死者をいたむ歌「挽歌」について、今回は「万葉集」の中から「日並皇子挽歌の世界」を取り上げます。日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)は天武天皇の息子で、次の天皇としての即位が期待されていました。しかし、689年に亡くなり、宮廷社会には大きな衝撃が走ります。國學院大學文学部教授(特別専任)上野誠さんが、柿本人麻呂が奏上した挽歌を読み解き、葬送儀礼を通した人間の社会的な死の受けとめ方について語ります。
今回は「天智天皇挽歌の世界」を取り上げます。天智天皇がご病気になられ危篤となって、やがて亡くなります。その間に後宮(こうきゅう)にいた女性たちが詠んだ歌から、天皇の死がどう受け止められていたのかを読み解きます。後宮には大后をはじめ、多くの天皇の妻たちがいました。女性たちは競争相手でしたが、それぞれに友情もありました。國學院大學文学部教授(特別専任)上野誠さんが後宮での天皇の看取りについて語ります。
新シリーズでは、現存する最古の歌集「万葉集」から、当時の日本人「万葉びと」が生と死の世界をどのようにとらえていたのかを考えます。第1回は大伴旅人が詠んだ「讃酒歌十三首」を取り上げます。酒を讃(たた)える讃酒歌ですが、意味としては人生にはどうしようもない事があるが「くよくよするな」と諭しているといいます。國學院大學文学部教授(特別専任)上野誠さんが、この歌から生きる意味や何が幸せなのかを読み解きます
今回は東京大学名誉教授・難波和彦さんが、これまでに設計してきた住宅を振り返り、改めて「住まいとは何か」を解説します。難波さんは注文を受けると、まず自分の考え方を建主に示し、その提案に共感してくれる場合に設計を行うようにしているといいます。住宅の工業化は、高性能な住まいを大量に安く作ることでしたが、これからは建築家が住む人の生活様式や機能も統合して考え、建主に提案していくことが大切であると語ります。
東京大学名誉教授・難波和彦さんは、2009年に「建築教育国際会議」を開催し、建築教育に国際的な多様性があることを認識します。大学教育で建築学科が工学部に属している国は、日本ぐらいなものでした。アジア、アメリカ、ヨーロッパのほとんどの国では建築学科はデザイン芸術学科系の学部に属し、そこには工学部門は存在しなかったといいます。日本の大学における建築学科の特異性について、歴史的な観点から解説します。
今回は住まいにまつわる祝祭や儀礼について考えます。東京大学名誉教授・難波和彦さんは、設計した住宅で工事を始める時に、自らが安全祈願の儀式「地鎮祭」や「上棟式」を行う場合が多いといいます。建築家の立場からみても、こうした儀式は連続する時間に区切りを入れて、境界をつくりあげる文化的行為になっていると語ります。難波さんの幼少期の体験なども振り返りながら、時間と空間に境界をつくることの意味を解説します。
今回は住まいの省エネルギー問題に着目して、その必要条件について考えます。1960年代に住宅の気密性を高めるためアルミサッシが急速に普及しましたが、1990年代になると、その家が建替えの時期をむかえ、大量のアルミ廃材が出ることになります。東京大学名誉教授・難波和彦さんはアルミ廃材を再利用して「エコハウス」を開発するプロジェクトに参加しました。日本の環境条件にあった「エコハウス」のあり方を語ります。
「集合住宅」にはアパートや分譲マンションなどがありますが、1970年代までは公営団地を意味する場合が多かったといいます。当時、「集合住宅」では公共施設の共有以外、家族相互の交流や地域コミュニティなどの必要性は考えられませんでした。東京大学名誉教授・難波和彦さんは、多様化する家族形態や生活様式を踏まえた上で「集住体」という概念が大切であると考えます。「集住体」の具体例やその可能性について語ります。
今回は住宅が集合してつくる街の風景について考えます。日本の建築家たちは明治維新以降、西欧の街の風景を日本に持ち込もうとしますが、西欧的な広場やコンパクトにまとまった形状は定着しませんでした。日本では幹線道路に沿って中高層ビルが林立し、その裏には低層の住宅が密集するという雑ぱくな景観になってしまいました。東京大学名誉教授・難波和彦さんは、新しい都市論から日本固有の風景を再評価する必要性を語ります。