高層ビルをかすめるように降下する飛行機、魔窟と呼ばれた巨大スラム、数千の水上生活者の船。中国本土で戦乱や危機が起こる度、無数の人々が逃げ込み、香港のカオスを作り上げた。イギリスによる植民地統治のルールは「自由」。しかしそれは、いつか中国に返還される「期限付きの自由」だった。ある作家は「借り物の場所、借り物の時間」と呼んだ。巨大国家・中国の存在におびえながら、束の間の自由を追い続けた人々の記録。
1926年開通したルート66は、人とモノの大陸横断を可能にし、アメリカのダイナミズムとなる。30年代、巨大な砂嵐に故郷を追われた中西部の人々は、道の終着点・カリフォルニアを目指した。50年代、ファストフード、モーテルなどロードサイドビジネスが生まれ、戦後の繁栄をアメリカ中に行き渡らせた。60年代には、大人たちにNOを叫ぶヒッピーが聖地カリフォルニアに向かった。アメリカの夢と絶望を運んだ道の物語。
2度にわたり繰り広げられた安保闘争・激動の記録。60年安保闘争は、戦争の記憶がまだ生々しかった時代、若者に大人も加わり国会を取り囲む国民運動となった。映像は、闘争を牽引する若きカリスマを捉えている。全学連委員長・唐牛健太郎、人々は彼を現代の英雄と呼んだ。70年安保闘争では、戦後生まれの学生がゲバ棒と火炎ビンで武装し大学に立てこもる。だが闘争の末路は凄惨な事件を引き起こし、国民の支持を失っていった。
「人類史上、最も多くの人を殺した武器」と言われるカラシニコフ銃。80年前、ソ連で密かに生まれたこの銃は、誰でも簡単に扱え、故障知らずで、1丁10ドルから手に入る。それゆえ、世界へ広がった。アメリカが敗れたベトナム戦争でも、アフリカ内戦の無差別殺りくでも、そして繰り返されるテロでも、使われたのはカラシニコフ銃だった。人々の憎しみに取りつき、コントロール不可能なまでに巨大化したモンスターの記録である。
20世紀最高の歌と評される名曲「奇妙な果実」。木につるされた黒人の遺体を果実に見立てたこの歌は、1939年、伝説の黒人ジャズシンガー、ビリー・ホリデイによって発表された。差別が根強いこの時代に、黒人自らが人種差別を告発するなど前代未聞だった。破滅と引き換えに歌い続けたビリーの怒りと悲しみは、時空を越え人々に受け継がれていく。公民権運動、ブラックライブズマター。「奇妙な果実」は世界をどう変えたのか。
「砂浜には兵士の死体の他は何もなく、眼鏡を捜してはい回る従軍牧師がいるだけだった」、これはノルマンディー上陸作戦で兵士として戦った作家サリンジャーの未発表作品の一節。この作戦には15万の兵員が投入され、初めて戦場を経験する者も数多くいた。船の扉が開いた瞬間、ドイツ軍の銃弾が襲う。身を守る物などない中、兵士たちは恐怖を押さえつけ陸地に向け飛び出していく。連合軍を勝利に導いた名もなき人々の犠牲の記録。
タイタニック号の沈没、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号の爆発、583人の犠牲者を出し、航空機史上最悪の事故と呼ばれる「テネリフェの悲劇」、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故。未知への挑戦を続ける中で、巨大事故が何度も引き起こされてきた。そして人間は同じ過ちを繰り返さないために原因を究明し、安全を目指す闘いを続けてきた。私たちは巨大事故の悲劇とどのように向き合い、乗り越えようとしてきたのか。
アメリカなど11か国が裁判官と検察官を務めた東京裁判は、日本の戦争指導者の責任を追及する様子を世界に発信するため、照明など撮影に万全の体制を整えた法廷で行われた。被告人25人のうち7人に極刑が言い渡された。傍聴していた作家・川端康成は、「劇的な人間の生と死との分れ目を私は眼前に見て、深く打たれるものがあった」と記している。東条英機、広田弘毅など戦争指導者が裁かれた東京裁判の2年6か月をたどる。
ロシアではソ連時代以来、暗殺と粛清が繰り返されてきた。レーニンは秘密警察によって反対勢力を処刑、凄惨な弾圧で革命を成功へ導いた。スターリンは政敵をスパイに仕立て次々と処刑、粛清の嵐は一般国民にも及び2千万の命が奪われた。そしてソ連崩壊後も、政権の不正を告発する人物などが不審な死を遂げている。その度に政権の関与が疑われるが、真相はわからない。恐怖による統治が続いてきたロシア百年の記録である。
数千年前、国を失い、世界各地に離散したユダヤ人は、絶えず迫害を受けてきた。19世紀末ロシアでの集団虐殺・ポグロム。ナチスによるホロコーストでは、世界のユダヤ人の3分の1にあたる600万の命が奪われた。1948年のイスラエル建国は、ユダヤ人の悲願だった。その後イスラエルは、アラブ諸国との戦争に勝利を重ね、今や世界有数の軍事大国となった。なぜイスラエルは戦い続けるのか、ユダヤ人苦難の歴史から読み解く。